方広寺(ほうこうじ) - 京都の観光情報:丸竹夷|京都の寺社仏閣、京都のイベント情報


方広寺(ほうこうじ)

方広寺

東山区にある方広寺(ほうこうじ)です。

方広寺は、1586(天正14)年に豊臣秀吉が建立した寺で、かつては大仏殿と呼ばれ、大仏が安置してありました。
境内には、「国家安泰、君臣豊楽」と書かれた大梵鐘が残されています。

見 所

豊臣家を滅亡に導いたとされることで有名な鐘楼に吊された大きな鐘には、「国家安康」「君臣豊楽」の文字が残って、今でも見ることができます。

住 所

京都市東山区正面通大和大路東入茶屋町527-2

連絡先

075-561-1720

時間等

9:00~16:00

料金等

境内無料 (本堂拝観は大人200円、中学生以下100円)

方広寺:ギャラリー


方広寺の地図

最近の「方広寺」を含むつぶやき

2019-01-18 17:00:38 [aloha love 21 小池知事応援]
RT @toyokunishrine: 秀吉公のご遺命にて墓所は阿弥陀ヶ峰に定められ、その中腹には豪壮広大な「豊国社」が1599年に創建されました。しかし大坂夏の陣後、幕府の命で廃社となりました。 現在の豊国神社は秀吉公創建の方広寺大仏殿跡地に1880年に再興されたものです。
2019-01-18 16:48:16 [池田先生と学ぶ仏教]
金地院崇伝は徳川家康のもとで江戸幕府の政策に関与し、黒衣の宰相の異名を取った。大坂の陣の発端となった方広寺鐘銘事件に関与した。徳川家康の死後、神格化をめぐって南光坊天海と対立し破れる。徳川家康は東照大権現として祀られることになった。
2019-01-18 14:07:05 [川西まどか]
京都方広寺境内にて平成卅一の腹揉み初めを執り行った
2019-01-18 04:06:16 [日本史bot]
【刀狩り】1588年,豊臣秀吉が実施した,農民から武器を没収する政策。没収された武器は方広寺(←調べてみよう)の大仏の材料にするとされた。武器を没収することで農民の反乱を防ぐとともに,兵農分離を進める狙いがあった。
2019-01-18 01:48:15 [池田先生と学ぶ仏教]
金地院崇伝は徳川家康のもとで江戸幕府の政策に関与し、黒衣の宰相の異名を取った。大坂の陣の発端となった方広寺鐘銘事件に関与した。徳川家康の死後、神格化をめぐって南光坊天海と対立し破れる。徳川家康は東照大権現として祀られることになった。
2019-01-17 22:16:03 [@amelob quiz bot]
大坂の役の遠因ともされる方広寺鐘名事件で梵鐘に書かれた「国家安康」「君臣豊楽」という銘文を選定した臨済宗の僧は誰でしょう?
2019-01-17 18:08:28 [聖隼の日本史講座]
《近世》刀狩 秀吉が始める前にも柴田勝家が行っていた。表向きの理由は「京都・方広寺に大仏殿を造営するため金属が欲しい」というもの。しかし真の理由は農民から武器を取り上げて百姓一揆を防ぎたかったからである。これにより、農民と武士の兼業、つまり足軽は一時衰退の道を辿る。
2019-01-17 16:22:43 [桃籠]
[にふしず2658]:〈かごめかごめ〉、“後ろの正面だれ”。 〈京の大仏さん〉、“後ろの正面どなた”。 “方広寺”の“大仏”、“大仏殿”。 (“幾何学的配置”、“豊臣”。)
2019-01-17 16:00:55 [京都検定で京都を楽しむ会]
【練習問題】慶長11年(1606)保津川(大堰川)を開削した(    )は、その後方広寺大仏殿再建のための資材運搬用運河として高瀬川を開削し、慶長19(1614)年に竣工したが同じ年に没した。【正解は自分で】
2019-01-17 15:27:12 [エスキモー]
方広寺の国家安寧の字が想像以上に小さくて草 https://t.co/ZBe60XBacM
2019-01-17 13:54:49 [ぱっきゃまら]
三田市にある方広寺まで写真撮りに来ました~。石庭が綺麗! https://t.co/XhUKEzdsTn
2019-01-17 13:31:00 [みゅう]
智積院から豊国神社、方広寺へ。秀吉ゆかりの場所。どんな大仏さんやったんやろなぁと想像しながら歩きました。 https://t.co/RjZ16YpYfl
2019-01-17 10:48:20 [池田先生と学ぶ仏教]
金地院崇伝は徳川家康のもとで江戸幕府の政策に関与し、黒衣の宰相の異名を取った。大坂の陣の発端となった方広寺鐘銘事件に関与した。徳川家康の死後、神格化をめぐって南光坊天海と対立し破れる。徳川家康は東照大権現として祀られることになった。
2019-01-17 06:21:56 [takehikom]
ひっくり返して「六丈の仏」はないか、探してみる。「"六丈" 大仏」を検索語にすると上位に出てきた。方広寺にかつてあった大仏が「六丈三尺(約十九メートル)」だったという https://t.co/OK5kqXijho
2019-01-17 02:08:18 [聖隼の日本史講座]
《近世》刀狩 秀吉が始める前にも柴田勝家が行っていた。表向きの理由は「京都・方広寺に大仏殿を造営するため金属が欲しい」というもの。しかし真の理由は農民から武器を取り上げて百姓一揆を防ぎたかったからである。これにより、農民と武士の兼業、つまり足軽は一時衰退の道を辿る。