東山区にある耳塚(みみづか)です。
耳塚は、豊臣秀吉が文禄・慶長の役(朝鮮史では、壬辰・丁酉の倭乱、1592~1598年)の際、朝鮮の人たちを老若男女問わず虐殺し、戦功の証に被害者達の鼻や耳をそぎ落とし、塩漬けにして持ち帰ってこの地に埋め、供養の儀が行われたところです。
京都市東山区大和大路正面塗師屋町
丸竹夷
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