伊東甲子太郎外数名殉難の碑(いとうかしたろう) - 京都の観光情報:丸竹夷|京都の寺社仏閣、京都のイベント情報


伊東甲子太郎外数名殉難の碑(いとうかしたろう)

伊東甲子太郎外数名殉難の碑

油小路七条下るにある伊藤甲子太郎(いとうかしたろう)外数名殉難の碑です。

 伊東甲子太郎は常睦(茨城県)の出身で、元治元年(1864)に新選組に入隊し、参謀として重視されました。しかし、尊王派であった伊東は、近藤勇と対立するようになり、慶応三年(1867)に新撰組を脱退して御陵衛士となり、高台寺月真院を屯所としました。
新選組との対立は深まり、近藤勇らは伊東を招いて酒をふるまい、酔った伊東をこの地で刺殺しました。
この知らせを聞いた伊東一派は、直ちに駆け付けましたが、待ち伏せしていた新撰組数十名の隊士に襲われ、三名が斬られました。世にこれを油小路七条の変といいます。
石碑は、伊藤甲子太郎が絶命した地点といわれる本光寺門前に建つものです。

住 所

京都市下京区油小路通木津屋橋上る東側

伊東甲子太郎外数名殉難の碑の地図