木屋町四条上るにある本間精一郎(ほんましょういちろう)遭難之地の石碑です。
本間精一郎は越後の商家に生まれ、江戸に出て勘定奉行川路聖謨に仕えました。その後京都に移り尊攘派浪士の中心的存在になりました。しかし、同志達から誤解を招き、文久2年、木屋町で土佐の岡田以蔵らに斬られました。享年29歳。石碑は本間精一郎が遭難した地を示すものです。