京都 丸竹夷二押御池♪
丸竹夷二押御池では、京都で発見したものを(丸竹夷二押御池)通り別を中心に紹介して行きます。
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足利尊氏邸跡:2005年10月31日

足利尊氏邸跡

御池通高倉上るにある足利尊氏邸跡です。

足利尊氏は1333年に後醍醐天皇とともに北条家を倒し、この功績により天皇の名の一字をもらい、高氏から尊氏へと改名しました。しかし次第に天皇側と対立するようになりました。1336年には軍勢を率いて京都を制圧し光明天皇を擁立して、朝廷を吉野に移した後醍醐天皇と戦いました。以後長きにわたって続いた南北朝の争乱をひき起こしたのはあまりにも有名です。その後、1338年に征夷大将軍となって室町幕府を開き、武家による政治を復活させました。

足利尊氏邸跡


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冷泉家住宅:2005年10月30日

冷泉家住宅

今出川烏丸東入るにある冷泉家住宅です。

冷泉家の住宅は、京都御所にあった公家屋敷の中で最後に残った貴重な建物として重要文化財に指定されています。
冷泉家は藤原定家という歌人の子孫で、住宅は寛政2年(1790)の建築です。文庫には国宝の藤原俊成自筆「古来風躰抄(こらいふうていしょう)」他、多くの貴重な典籍が保存されていて、これらもまた重要文化財に指定されています。

冷泉家住宅 冷泉家住宅
 
冷泉家住宅 冷泉家住宅
 
冷泉家住宅 冷泉家住宅
 
冷泉家住宅 冷泉家住宅

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八坂神社御旅所:2005年10月29日

八坂神社御旅所

四条通寺町にある八坂神社御旅所です。

7月に行われる祇園祭で、山鉾巡航の後に行われる神幸祭で3基の御輿がこの御旅所に到着します。
神幸祭での終点にあたる御旅所前での興奮は最高潮に達し、見物客も一緒に拍手で盛り上がります。1週間後に行われる還幸祭までこの地に3基の御輿が御旅所に滞在しています。
山鉾巡航は有名ですが、神幸祭の知名度はまだまだかもしれませんね。

八坂神社御旅所 八坂神社御旅所

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さきぞう発祥の地:2005年10月28日

さきぞう発祥の地

木屋町三条上るにあるさきぞう発祥の地の石碑です。

SAKIZOは1972年、田村佐起三が創業した京都発のブランドです。
ちりめん素材を使い、洋服を作ることを企画しちりめん洋服を世に送り出しました。当時、20代女性を中心に一大ブームとなりました。この石碑は、さきぞう発祥の地を示すものなのでしょうか?

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そめどの地蔵:2005年10月27日

そめどの地蔵

四条通寺町にあるそめどの地蔵です。

地元では「そめどのさん」と、親しまれている「安産祈願」のお地蔵さんです。甘栗で有名な林万昌堂の奥にあります。四条通りを通よく通る人も見落としている人が多いのではないでしょうか?
この辺り一帯は当時の権力者、藤原良房の屋敷地であったため、世間では良房の邸宅を「染殿」と称していたことから、その名が付いたと言われています。

そめどの地蔵 そめどの地蔵

 

そめどの地蔵

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梅田雲浜邸址:2005年10月26日

梅田雲浜邸址

梅田雲浜(1815?59)は、福井小浜生まれで父は小浜藩士でした。上洛して私塾望楠軒講主に迎えられました。ペリー来航の対外関係緊迫化で政治的発言を始め、士籍を削られ浪人学者となりました。京都で志士の指導者であったことから安政大獄が始まると真っ先に捕えられ、江戸で取り調べ中に病死しました。

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徳川時代金座遺址:2005年10月25日

徳川時代金座遺址

御池通両替町にある徳川時代金座遺址です。

金座は江戸幕府の金貨を鋳造する所でした。慶長年間(1596?1615)に各地にあった金屋等をこの地に集めたことから金座が誕生しました。しかし、寛政の改革(1800)以後は京都での金貨の鋳造は行われることはなくなり、御所御用箔等の取り締まりだけを行うようになりました。その後、明治元年には完全に廃止となりました。

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平楽寺書店:2005年10月24日

平楽寺書店

東洞院三条上るにある平楽寺書店です。

平楽寺書店は仏教書の専門の出版会社であり、その歴史は慶長年間までさかのぼります。 丹波の武士、村上浄徳が京都に出て書籍商をはじめましたそうです。
鉄筋コンクリート造り3階建で国の登録有形文化財に指定されています。昭和2(1927)年の建物です。
3階の円形のバルコニーと窓のアーチが印象的な建物です。

平楽寺書店
 
平楽寺書店
 

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シ・エム・ウイリアムス師旧邸:2005年10月23日

シ・エム・ウイリアムス師旧邸

烏丸通出水にあるシ・エム・ウイリアムス師旧邸です。

シ・エム・ウイリアムスはアメリカから来日した宣教師で、長崎や京都で布教を行い、日本聖公会初代監督に就任しました。その邸宅は河原町五条にありましたが、昭和11年にこの地に移築されました。
移転当時はウイリアムス氏記念館でしたが、現在は京都教区主教邸・ウイリアムス神学館として使用されています。

シ・エム・ウイリアムス師旧邸 シ・エム・ウイリアムス師旧邸
 
シ・エム・ウイリアムス師旧邸 シ・エム・ウイリアムス師旧邸

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時代祭:2005年10月22日

時代祭

10月22日に行われた時代祭です。

時代祭は京都の三大祭の一つで10月22日に行われます。行列は明治維新から古い時代へ歴史をさかのぼる形で京都御所から明治神宮へ向かいます。約2000人が参加し、全長約2kmになります。
それにしても、今日の京都はとても冷え込んで、沿道のあちらこちらから、「寒い」と言う声が飛び交ってました。(写真はすべて御池通りで撮影したものです。)
 

時代祭

今日撮った写真をまとめてアップしてます。

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桂小五郎象:2005年10月21日

桂小五郎象

河原町御池上るにある桂小五郎象です。

桂小五郎(木戸孝允)は、幕末・明治時代の政治家で維新の三傑の一人です。吉田松陰の門人であった高杉晋作らと藩の指導権をにぎるようになりました。その後、薩長同盟を成立させ倒幕を実現しました。明治新政府が成立すると五箇条の御誓文を起草したり、版籍奉還や廃藩置県の計画を立てたりしました。幕末?明治を語る上で欠かせない人物です。

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カフェ&レストラン蒼:2005年10月20日

カフェ&レストラン蒼

室町三条上るにある、カフェ&レストラン蒼です。

140年の歴史を持つ町屋を改装して、お昼はカフェ、夜はイタリアンレストランとして営業されています。
町屋ならではの、奥庭にある白壁の倉では、東京青山で有名なシューズショップKISSA等がお店を開いています。
なんと言っても、ペット連れで来店出来る奥庭があるのが魅力的です。内装も一見の価値ありのお店です。夜のコース料理を食べたのですが、味も文句なしです!

カフェ&レストラン蒼 カフェ&レストラン蒼
 
カフェ&レストラン蒼 カフェ&レストラン蒼

 

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東南アジア研究センター:2005年10月19日

東南アジア研究センター

川端荒神口にある京都大学東南アジア研究センターです。

旧京都織物会社の建物で、特徴ある三角屋根の片方に大きく社名が彫刻されています。西陣織の機械化を図って建てられた建物だそうです。明治23年建築の建物です。仕事で何度もここには通っているのですが、そんなに歴史ある建物と気づいたのはつい最近のことです。
現在は、京都大学の大学院、京都大学東南アジア研究センターの建物として利用されています。
西陣織の機械化とは、正直驚きましたが、検索するとかなり機械化が進んでいるようですね。
 

東南アジア研究センター 東南アジア研究センター

 
東南アジア研究センター 東南アジア研究センター

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興正寺:2005年10月18日

興正寺

堀川七条上るにある興正寺です。

興正寺は、西本願寺の南隣に位置しています。元々西本願寺の脇門跡でしたが、1876年(明治9年)に真宗興正派として独立し、真宗興正派の本山となりました。かなり大きなお寺なのですが、隣に西本願寺がそびえるため、何故か小さく感じてしまいます。

興正寺 興正寺

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加賀藩邸跡:2005年10月17日

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木屋町通御池にある加賀藩邸跡です。

加賀藩前田家の藩邸は天明8年(1788)に焼失し、その後再築されました。加賀藩は大きな藩でありながら、幕末には自主的な活動はあまりしませんでした。前田家が徳川家と遠戚関係にあったことや藩士に政治的な感覚が乏しかったと言われています。元治七年(1864)七月、長州藩が禁門の変を起こした時には長州藩のために協力しましたが失敗し退京することになりました。その後、藩内の勤王派はほぼ全滅しました。

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角倉了以邸跡:2005年10月16日

角倉了以邸跡

木屋町二条下るにある角倉了以邸跡です。

角倉了以(吉田与七)は一之船入で有名な高瀬川の開削で知られています。実家が裕福だったことから、莫大な資金のかかる川の開削に大きく関係しています。
高瀬川の開通により、東国や西国地方から穀物などの生活物資が大量に搬入されるようになり、京都の物価を安定させることで庶民に安心をもたらしたと伝えられています。了以の行った事業は、そのほかに、大堰川、富士川の開削、朱印船による貿易などがあります。

ほぼ正面に角倉了以別邸跡の石碑も建っています。

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伊藤甲子太郎外数名殉難の碑:2005年10月15日

伊藤甲子太郎外数名殉難の碑

油小路七条上るにある伊藤甲子太郎外数名殉難の碑です。

伊東甲子太郎は常睦(茨城県)の出身で、元治元年(1864)に新選組に入隊し、参謀として重視されました。しかし、尊王派であった伊東は、近藤勇と対立するようになり、慶応三年(1867)に新撰組を脱退して御陵衛士となり、高台寺月真院を屯所としました。
新選組との対立は深まり、近藤勇らは伊東を招いて酒をふるまい、酔った伊東をこの地で刺殺しました。
この知らせを聞いた伊東一派は、直ちに駆け付けましたが、待ち伏せしていた新撰組数十名の隊士に襲われ、三名が斬られました。世にこれを油小路七条の変といいます。
石碑は、伊藤甲子太郎が絶命した地点といわれる本光寺門前に建つものです。

伊藤甲子太郎外数名殉難の碑

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吉村寅太郎寓居跡:2005年10月14日

吉村寅太郎寓居跡

木屋町三条上るにある吉村寅太郎寓居跡です。

吉村寅太郎は土佐国高岡郡北川村の庄屋の家に生まれ、文久元年(1861)土佐勤王党に加盟し、翌年武市半平太の命で萩に赴き久坂玄瑞と会見しました。その後、久坂に感化されて文久2年(1862)に脱藩しました。土佐藩脱藩第一号として知られています。
文久3年(1863)明治天皇の叔父にあたる中山忠光を連れて京を抜け大和に入り天誅組を結成しました。8月18日の政変により尊攘派が中央政界から追い出され、吉野郡高見村にて自刃しました。享年27歳。

吉村寅太郎寓居跡

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武市瑞山先生寓居之跡:2005年10月13日

武市瑞山先生寓居之跡

木屋町通三条上るにある武市瑞山先生寓居之跡です。

武市瑞山は、1829年に土佐国長岡郡仁井田郷吹井村に 生まれました。その後、文久元年(1861年)に土佐の同士 192人で土佐勤王党を結成しました。いずれも国のためには一命を投げだそうとする郷士達ばかりでした。一時は藩論を勤王に統一できたかにみえましたが、京都で尊王攘夷派がおとろえると、土佐藩主・山内容堂によって捕らえられ切腹することになりました。享年37歳。
この石碑は武市瑞山が京都に滞在時の宅跡を示すものです。

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中井正五郎殉難の地:2005年10月12日

中井正五郎殉難の地

油小路花屋町下るにある中井正五郎殉難の地(天満屋跡)です。

十津川郷士中井正五郎は、上洛後に尊譲派と親交があり、坂本龍馬・中岡慎太郎を敬愛したと言われています。坂本・中岡暗殺の首謀者とみなされた紀州藩士三浦休太郎を、かつてこの地にあった旅亭天満屋で襲撃し護衛の新選組と戦ってこの地で倒れました。
この石碑は、中井正五郎殉難の地を示すものです。

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旅館幾松:2005年10月11日

旅館幾松

木屋町御池上るにある旅館幾松です。

旅館幾松は桂小五郎とその妻幾松が住んでいたところ?と言う説がある場所ですが、定かではありません。この旅館は今も営業しており、「幾松の部屋」と言う部屋があります。夜の会席料理を予約すると、部屋の説明をしてもらえるコースもあります。以前別のサイトで取材に行った時にとても親切に話しを聞かせて頂きました。夏には納涼床も開かれています。

旅館幾松 旅館幾松

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一条戻橋:2005年10月10日

一条戻橋

堀川通一条にある一条戻橋です。

安倍晴明が自在に操ったと言う式神を封じ込めた橋と言われています。この橋を渡ると再びこの地を訪れることになるという言い伝えや、あの世とこの世をつなぐ橋など、数多くの言われがある橋です。
平成7年に架け替えられたため、当時の石造りの橋は現存しませんが、晴明神社内に保存されています。
言い伝えから、おどろおどろしい橋を想像して訪れた人には少し拍子抜けするかもしれないほど、普通の橋になっています。

一条戻橋

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八坂神社:2005年10月 9日

八坂神社

四条通東大路にある八坂神社です。

八坂神社は京都の人の間では「祇園さん」の名称で親しまれています。
創建については諸説ありはっきりしないようですが、一説では大和時代、高麗の調使であった伊利之(いしり)の後裔・八坂氏が朝鮮の牛頭(ごず)山に祀る牛頭天王を移したことに始まるともいわれています。
本殿は、承応3年(1654年)に再建されており、国の重文に指定されています。
日本三大祭りの一つである祇園祭りは、この八坂神社の祭礼であります。初詣でも多くの人で賑わい縄に火をもらい、それを火種にして炊いたお雑煮を食べると、一年間無病息災ですごせると言われています。

八坂神社 八坂神社
 
八坂神社 八坂神社
 
八坂神社 八坂神社
 
八坂神社

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本間精一郎遭難之地:2005年10月 8日

本間精一郎遭難之地

木屋町四条上るにある本間精一郎遭難之地の石碑です。

本間精一郎は越後の商家に生まれ、江戸に出て勘定奉行川路聖謨に仕えました。その後京都に移り尊攘派浪士の中心的存在になりました。しかし、同志達から誤解を招き、文久2年、木屋町で土佐の岡田以蔵らに斬られました。享年29歳。
石碑は本間精一郎が遭難した地を示すものです。

本間精一郎遭難之地

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一之船入:2005年10月 7日

一之船入

木屋町二条にある一之船入です。

高瀬川は京都の中心部に物資を運びいれるため角倉了以が開いた運河で、この川を通る高瀬舟の荷物をあげおろしする船溜所を船入といっていました。
高瀬川は鴨川に平行して十条まで南下し、伏見で宇治川に合流するため江戸時代には、底が平たい高瀬舟が物資を運びいれていました。
現在の一之船入は復元された高瀬舟が一艘あるだけですが桜の名所としても知られています。


一之船入

 
一之船入

 
一之船入

 

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象山先生遭難之碑:2005年10月 6日

象山先生遭難之碑

木屋町三条上るにある象山先生遭難之碑です。

佐久間象山は松代藩出身で幕末の思想家です。儒学や朱子学を学び、西洋科学の導入で殖産興国をすすめました。彼の開いた塾からは、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らを輩出しています。
元治元年(1864)に上洛し、開国論を唱えて公武合体に努めたため、刺客によって斬殺されました。

<象山先生遭難之碑

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大村益次郎遭難碑:2005年10月 5日

大村益次郎遭難碑

木屋町三条上るにある大村益次郎遭難碑です。

大村益次郎は、山口の医者の息子で医学を志し大阪の緒方洪庵が主宰する適塾に入塾しました。この塾は現大阪大学の前身で、福沢諭吉や橋本佐内らの秀才がここで学んでいます。
桂小五郎にその才能を認められ反幕府戦争の総司令官に抜擢されました。
明治2年9月4日、京都三条木屋町の旅館で刺客に襲われ重傷を負い、辛くも一命をとりとめ、大坂の病院に入院しましたが、11月5日容態が悪化し亡くなりました。享年46。

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西川商店(油店):2005年10月 4日

西川商店

油小路通七条にある西川商店(油店)です。

創業が江戸時代末で160年も続いている油店です。西本願寺のお灯明の油を扱ったといわれるお店です。玄関上の街灯風の油屋の看板も明治や大正時代を感じさせてくれます。
油屋さんが多いので、油小路と名付かどうか定かではないのですが、ここ1軒しか残ってないところを見ると通りの由来ではないのかもしれませんね。

西田商店
 
西田商店

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THE RIVER ORIENTAL:2005年10月 3日

THE RIVER ORIENTAL

寺町通松原上るにある THE RIVER ORIENTAL です。

鴨川に面した歴史ある「鮒鶴(ふなつる)」の館を改造したレストランです。築130年を経て今も歴史を刻み続けています。異国情緒あふれる内装で京都にいることをわすれさせてくれるような空間がひろがっています。最近は結婚式の披露宴会場として使われることが多いようですね。
夏場は川床も開かれています。千と千尋の神隠しでも見ているかのような外観です。

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THE RIVER ORIENTAL
 
THE RIVER ORIENTAL

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野口家住宅:2005年10月 2日

野口家住宅

中京区油小路通錦小路にある野口家住宅です。

野口家は享保年間より代々呉服商を営まれている商家です。
元治元年(1864)の大火後に再建され、表の店舗棟と奥の居住棟を玄関棟で接続した表屋造りで、小堀遠州とゆかりの書院を有する由緒ある歴史をもつ町家です。

この住宅は、京町家の典型例の一つとして貴重であり、昭和58年6月1日、京都市指定有形文化財に指定されています。

野口家住宅
 
野口家住宅
 

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秦家住宅:2005年10月 1日

秦家住宅

油小路通綾小路下るにある秦家住宅です。

祇園祭りでは、油天神山が建つ所です。
現在の建物は蛤御門の変(1864)と呼ばれた大火で焼失後、明治2年に再建されたもので店舗・住居・土蔵を二つの庭がつなぐ「表屋造り」と呼ばれる典型的な京町家です。伝統的商家の趣をよく残しているとして昭和58年に店舗・玄関棟部分が京都市登録有形文化財に指定されました。
表にかかる奇應丸の看板がとても印象的な建物です。

秦家住宅
 
秦家住宅
 
秦家住宅
 
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